和歌山の宝がまた一つ消えかかっています!!
蚊取り線香発祥の地とされる和歌山県有田市で、長らく生産が途絶えていた国産の除虫菊を使った蚊取り線香が2013年に復活しました。
※蚊取り線香の歴史
「金鳥」の商標で知られる大日本除虫菊創設者の故上山英一郎(和歌山県有田市生まれ)が米国の業者から除虫菊の種を入手し、1887年ごろに有田市で初めて栽培に成功。1902年に日本初の渦巻き型の蚊取り線香を開発しました。
ところが戦後に化学合成品が開発され、除虫菊の国内生産は徐々に減少。今でも除虫菊を原料とする蚊取り線香は生産されていますが、いずれも外国産を使っており、国産原料の製品は途絶えていました。
その国産除虫菊による蚊取り線香を、発祥の地である有田市の「石井除虫菊工業所」が3年かけて試行錯誤で復活させ、原料となる株数も栽培により大幅に増やしたのですが、昨年末に諸事情で蚊取り線香の製造を停止し、製造販売免許を返納してしまいました。
製造再開の見込みも今は無く、栽培地も放置されている状態なのですが、このままいけば確実に貴重な除虫菊の苗、栽培技術、製造技術が失われます。
50年以上途絶えていて、大変な労力をかけて復活させた除虫菊と蚊取り線香。一度失われたら再度復活させるのには非常に時間もお金も人手もかかり、今度失われたらそもそも確実に復活させられるかどうかも分かりません。
除虫菊の株を残すなら去年の種がまだ残っていて栽培方法も把握している人がいる「今」が勝負です。
なので、まだまだ小さい当団体としては出来ることは限られていますが、ひとまず「除虫菊栽培」を次につなげるためにこの件について協力していただける農家さん(売り先が無くてお金にならないのは分かっていますが、和歌山の宝の一つと理解して頂き、栽培に協力してくれています)のところで、種から栽培して株を増やすことを行います。
まだ種は少し残っているらしいので、ちゃんと栽培して増やすのに協力していただける方がおられたら私の方までご連絡下さい(県外の方でも全然大丈夫です)。
今の所栽培してもお金に変えることはできませんが、除虫菊の栽培自体は耕作放棄地対策としても使えると思います。
※ちなみに除虫菊の栽培は花が咲くまで2年かかり、手間もかかります。
今後も国産除虫菊による蚊取り線香の再復活に向けてお手伝いし、進展ありましたらまたご報告させていただきます。