写真1枚目:和歌山でも東京でも日本中でイナゴは食べられていました。
写真2枚目:1877年東京でお雇い外国人のE.モースがイナゴを食べたとの記録。それとともに実際当時売っていた130年前のイナゴの佃煮の貴重な現物の写真。まだアメリカに保管されています。
みんな、ふつうに、たべてました。
それが、当時の、和食文化だったのですから。
当いなか伝承社は、B級グルメを作ろうとしているわけではなく、全く地元の関係ないモノを作ろうとしているのではなく、このようなかつてあった文化を掘り起し、現代にリメイクして活用できないかと検討している団体です。
そのために、代表の田中は全国と和歌山各地の民俗学を独学でかじり、机上で調査・情報収集・文化比較し、実際のフィールドにも足を運んで調査し、地域資源の活用を検討しております。
いきあたりばったりで実施しているのではありません。
普段でも、江戸時代の料理文献を取り寄せて読んだり、民俗学文献を読んだり、民具の文献を読んだり、博物館巡りをして「価値あるモノ」の判断基準を養い、「いなか」で眠っている地域資源を自ら掘り起こせるように、努力しております。
お金にはまだ全然なっていませんが。・゚・(ノД`)・゚・。
誰か地域資源発掘の仕事の依頼くれないかな~。絶対人と違うものを見つける自身はあるのに。