いなか伝承社(地域活性化支援)のブログ

和歌山県内各所の農山漁村のファンを作り、土地も含めた「慣習や風俗、信仰、伝説、技術や知識」の次世代への伝承を目的とする団体のブログです。  https://tsuku2.jp/inakadss 

【山村の人が守ってきたものをもっと知って欲しい。本日長文】

まずはじめに、石川県能登半島地震により、犠牲となられた方々におくやみを申し上げるとともに、被災されたすべての方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

今回はそれにも関わる一部の世論についてのお話。
地方、特に地方の都市部以外のエリア(要するに農山村)で大きな天災・災害があったら、毎回農山村の現場を知らない人が、対策案として「山村部なんて放棄して中心部に住民を引っ越させたらよい」「コンパクトシティ化すればよい」という声を毎回よく耳にするけれど、その案は絶対間違っている。

コンパクトシティとは、住まい・交通・公共サービス・商業施設などの生活機能をコンパクトに集約し、効率化した都市のこと。または、その政策のことをいう。基本的には脱車社会を目指して、公共交通機関または徒歩で移動できる範囲に都市機能をまとめる。


実際に山村の限界集落にある程度の期間住んでみて分かったことは、山村は住んでいる人々(特に高齢者)が守っている地域の範囲が非常に大きい。
そこ(近所)に田畑があるから、そこに先祖の墓があるから、そこに受け継いだ山があるから、地域の共有財産の森や草むらや水源があるから、自分たちでそこを守ってきた。
誰かから言われるまでもなく、大したお金をもらうわけでもなく、「住んでいるから」という理由でずっとずーっと守ってきた。

 

それはそこに住んでいるから実行出来るコト。

そして、その山村の守りは、下に位置する集落、そしてその川下の都市部にも恩恵をもたらしている。守っている。
国内の森が針葉樹の森ばかりになってきたとはいえ、山を管理することで都市部住民も使っているor影響のある水源地を保全したり、変な宗教団体や他国からの土地買収や大規模開発から言葉通りに私たちの「命の水」として水源地を守ったり、山や棚田を守ることで土砂災害の防災・減災につながったり、イノシシやシカを狩って下の地域への拡大を押しとどめて獣害被害の軽減につながったり、山に住んでいる人は、自分ゴトとして住んでいる地域、そしてそこから下に人がる広域も守っていて、「国土を守る」という意味でもとても大切な機能を担っている。

 

時々、全ての『名もなき家事』にも価値があるということを示すために、家を守っている人の家事労働の時給、専業主婦の年収などが話題に上がるけれど、それと同じ。山の中に住んでいる人は、他の人に気づかれていないけれど、声を大にして言わないけれど、国土も含めて、高齢化してヨボヨボになっても、しんどい作業でも、自分のこと以外も色んなものを守っている。
最近の大きな話題だと、東北の人がクマとも戦ってるのも相当すると思う。

 

一方、過疎化や人口減少などで昔からのその状態が崩壊してきているのも確か。
かといって、その今住んでいる人のもたらす恩恵が無くなっているわけじゃない。

 

なのに、災害が起きるたびに一部の世論で、「大変ならそこから出ればいいじゃない」「中心部に住民を引っ越させたらよい」という声も良く聞く。

言葉にするのは簡単で、大きな権力使って山村にバラバラに住んでいる人を中心部にインフラ整備してまとめて引っ越させたとして、その移動者の中には快適な医療・福祉環境で満足する人もいるだろうけれど、じゃあ人の居なくなった山村を誰が守るの? その山村住民が守ってきた環境は下流エリアも守っており、そこも誰が守るの? 山の中なんて機械化作業が進まない場所だけれど、自衛隊員が来て守るの?

山の中の住民の生活にまでお金かけてられない、と言われるけれど、結局それは巡り巡って、直接的に関わりの無い日本各地のマチに住んでいる住民への恩恵にもつながっている。
山村に住んでいる人が代々ボランティアで守ってきたことで、実質お金をあまりかけずに守れてきた。

 

これまでずっと都会の人の目には映ってこなかった、「日本の農山村の自然と暮らしの付き合い方」と「それがもたらす下流域への恩恵」の有機的な繋がりを無視したような、単純な「高齢者に引っ越させたら良い」というようなコメントは絶対に止めて頂きたい。

むしろ、地域おこしを行う立場としては、そんな「日本の農山村の自然と暮らしの付き合い方」に関心のある若者も増えてきているのだから、そんな人にこそ農山村へ来てもらえるよう努力していくべきだとも思っている。

 

都市部の人に日本の農山村の情報が伝わって無さ過ぎる。もっと義務教育の中で現場での暮らし体験なども含めて教えて欲しい・・・。